幼い頃の傷・・・

 「○○先生ーっ、この子どうしようーっ!」

これは、私が小学3年生の時に担任から言われたセリフです。


私たちの小学校では、毎年5月に写生大会がありました。
1〜6年生まで、その日は学年ごとに決められた公園に行って
写生を描くのです。

私たち3年生は、世田谷のある民家園に連れて行かれ、
それぞれ好きなところで描いていました。

私はその頃から自分の絵が下手だという事を自覚していたため、
なるべくカンタンなものを・・・と、庭の片隅にある大きな石を描きました。

石ですから、色は灰色。当時の私はそれ以外考えられません。
クレパスで灰色に塗っていたのです。


そして、ある程度出来たところで、大好きな担任の先生が見回りに来ました。

「どう?描けてる?」

と、私の絵を覗き込んだ瞬間、みるみる顔を歪ませて、


 「○○先生ーっ、この子どうしようーっ!」


と、叫んだのです。○〇先生は、当時の美術の先生です。

(どうしようって・・・・どういうこと?)

何を言われたか分かっていない私に、大好きだった担任の先生は

「ちょっとそこどいて、絵を貸しなさいっ」

と、私から絵を取り上げ、不機嫌な顔で
灰色の上から、黄緑を一面に塗りだしたのです。

実際の石には、苔は少しも生えておらず、やっぱり灰色。
写生じゃありません。

塗りだして10分も経ったころ、


「ほら。続き描きなさい。」

と、返されました。
そこには、最初の絵とは全然違うものがありました。
「私の絵」ではなく、それは「先生の絵」でした。

今でも悔しいです。
何も言えなかった自分。反論できなかった自分。
そして、大好きだった先生にされた仕打ち。

その後、図画工作では本気で絵を描かなくなりました。


絵画療法を勉強した今、その頃の思いをたどってみると、
自分の複雑な感情が分かります。

石は自分。絵に対しての頑な態度。
灰色は、写生に対して気が乗っていない心そのものです。

自分を表しているその石を、何の許しもなく勝手に塗られて消される。
それは、私自身を否定されることと同じように感じたのでしょう。

  「そんなに自分はダメな子なの?」

  「そんなにどうしようもない子なの?」



それから二年が経ち、世の中はマンガブーム。
私もこそこそと絵を描いていました。


だって、絵は好きだもの。


おかげで、色々な絵を描き、画材も使いました。
当時は美大生ぐらいしか使っていなかった
パステルに出逢ったのもこの頃です。

ですが、肝心のパステルの使い方を教えてくれる人はいない。
あるマンガ家が使っていた画材という事で、
2ページぐらいの特集が組まれていたのを見よう見まねで描くだけでした。

そして、高校を卒業して・・・私は絵を描かなくなりました。


でも絵は好き。美術館には今も行きますし、
なにより、引っ越しても結婚しても、
最小限の画材は捨てられませんでした。


そんな折、パステルアートを知ったのです。
友人が体験をやっていると聞き、描かせてもらいました。

その楽しい事、楽しい事!

一気に「絵を描きたい熱」が高まる私。
その勢いですぐに東京の日本パステルホープアート協会へ受講申し込み。
イントラクター短期養成講座を修了。

この間、なんと半月ちょっとです。

最初はインストラクターとして活動する気がなかったのですが、
この魅力を知ったら、そうは行きませんでした。


「私と同じように、

 小さい頃から絵が下手だという

 レッテルを張られた人にこそ、

 この講座は必要だ」


と、強く思うようになったのです。

あなたもぜひ、この素晴らしいアートを経験してみませんか?

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